週休2日

どうか今日も適当に生きて

この世は舞台、みな役者

まーたこういうタイミングでしか書けない人間こと、わたしです。

先日もまた、大きなニュースがありました。

 

Johnny's net

 

一生見ることがないと完全に思い込んでいた「V6」と「解散」の単語が並んだ記事。6人が6人でいながら、駆け抜けた四半世紀のことが書かれた記事と発表文。

仕事の移動の合間を縫って読んだ大事なお知らせ、たくさんの愛が溢れてて、関係各位から愛されて仕方がなかった6人のことを思い胸がいっぱいになった。最終的にはメンバー自身が追及したエンターテインメントに納得して、次のステップに進む、と書いてあって、V6のエンターテイナーとしての自覚に感服しながらも、6人が6人でいつづける場所が無くなることへの喪失感の大きさを痛いほど感じていた。

 

わたしの場合、ショックを受けたのは大きく二つの要因があった。

一つはシンプルに、これから先「進化して新しくなったV6」を見れなくなることへの寂しさが大きい。コンサートはしっかりやる、舞台、映画、ドラマ、演技の仕事でもちゃんと評価を得る。バラエティだってちゃんとやってくれる、V6。やっぱりどこかでわたしは彼らの永遠を思ってしまっていた。

嵐の(暫定)ラスト2年間を見届けた私ではあるが、グループの終わり方はどうしたらいいのか?と聞かれたら分からない。未来永劫なんてあり得ないし、永遠に生きる人間なんていないし、オタクだっていつかは死んでいく。

けど、彼らといつも通りの明日を一緒に迎えられると思ってしまう。

彼氏と別れる時だって、なんとなく終わりそうだなと違和感を感じてから、ゆっくりとその違和感が大きなカタチになっていき、それが手に取るようにわかる頃にやっと、ああもうさようなら今までありがとう、という気持ちが完成しているくらいだというのに、こういう形での突然の宣告はやっぱりどうしても心が追いつかなかった。

二つ目は、ジャニーズの中でのわたしの理想形がなくなってしまったということへのショック。V6がずっとジャニーズとして、そこにいてくれてることが、他のタレントの"支え"であったと思ってるから。10代20代を駆け抜け、30代で結婚し、それでもまだジャニーズアイドルとして生きていたV6。舞台にも立ち続け、コンサートもやって演技もして、グループとして生きて、ファンと一緒に成長して、なんならまだ新規を獲得しながら、6人はそれぞれに光りながらたまに集まって。

こんなステキなグループがいることが、後輩たちにとっては一つの目標だったり、安心材料になっているに違いないと思う。

所属する事務所に、ロールモデルとなる先輩を見つけようとするのは当たり前の話だし、さまざまな生き方をしていく熟練タレントが上層部にいることで、若手が生き生きとしてくれると思っている。

若いタレントが生き方を迷って先輩に相談する時、相談相手はジャニーズであって欲しい。先輩がいなくなったら、ジャニーズではない先輩に相談してしまって、他の世界が輝いて見えてしまうような気がする。隣の庭はいつだって青いんだから。

 

そして、ショックを受けたのち、いろいろ考えた結果、一つの結論に至った。「デビュー25周年」「メンバーが40歳」というある意味での「基準」を、V6は残したということ。

ということは、つまりわたしが今していることは、自担たちが40歳、もしくはデビュー25周年となる日までは大人しく応援し続けるということで、つまりもうこれは始まってしまっているということになるのか。終わりに向かって始まっているということなのか。やっと劇場が暗くなってきて開演のブザーが鳴り、幕が上がって、次降りてくるのを待っているだけなのか。

ただ、いつか終わるんだと腹を括ってしまえば、目の前でめくるめく展開していく全てのことは全てエンターテインメント、幕が上がったら、降りるまで続く一つのショータイムであるという解釈もできる。オタクのわたしは、それをただ目に焼き付けていくだけでいい。場面場面で拍手を贈っていけばいい。

 

 

わたしは「ジャニーズ」が大好きだ。

ジャニーさんから始まったその歴史と、その文化。そしてそれを継承していく人たち。エンターテインメントへの情熱と信頼。「偶像崇拝」と書いて「アイドル」と読む世界で、歌って踊って笑っていてくれる彼らが大好きだ。

 

そんなジャニーズを、未来永劫残していきたい。続いていくには大事なことがたくさんある。

才能も大事。見た目だって大事。考え方も、生き方も、どんどん洗練していかないとならない。でも何より大事なのは、その思想に賛成して、ジャニーズでいてくれる"人材"。

「○○さんみたいになりたい!」という理由でいてくれる子も絶対たくさんいる。

「○○さんのために」「○○さんと一緒にいるために」

人由来の理由だけで、ジャニーズでいてくれる人だって絶対にたくさんいる。上がどんどん居なくなるということは、この理由で居てくれている子たちの、ジャニーズでいる理由が、なくなっていくということだと思ってる。

これの最初はジャニーさんの死だったと思うけど、亡くなったことだけでは立ち去る人も少ないと思う。仕方がない部分も大きいし。

でも、尊敬する先輩が、自分の意思でその所属から立ち去った時、それは己のキャリアを見直すタイミングとなってしまう。

例えば自分でも、たとえそれが好きな仕事でも、先輩やまわりが「ここから出てもっと新しいところへ」と思いながらいなくなったんだ、と気付いた時、自分の会社について絶対に考え直してしまうと思う。

 

こういう機会損失を嘆いている。

「ジャニーズになっても、ド派手に花火打ち上げて嵐みたいになったらなったで私生活が大変。」「ジャニーズになっても、売れるか分かんないしな」とか、思ってしまう子がいたら、彼は絶対にオーディションを受けてくれない。もしかしたら未来の推しかもしれないのに。

またさらに、この素晴らしい伝統を引き受けていくセンスのある人材かもしれないのに、相談できる先輩が事務所にいなくて、その子は何かを諦めてしまうかもしれない。もしかしたら、未来の帝劇を埋めるカンパニーを引き連れる座長になるかもしれないのに。

上がどんどんいなくなるというのは、そういうことだと思う。伝統と継承が途絶える瞬間をわたしは目撃してしまうかもしれないんだ。

「「ジャニーズ」」が、その一言で全員を黙らせる力を持っていたはずなのに、その時代が終わっていく気がする。

移り変わっていく時代に対応しなよ、自分。と思う。新しいアイドルとか、音楽、俳優、いろんなものが凄まじいスピードで変化していくこの世で、DX的な部分に乗り切れなかったジャニーズにも悪い部分はあると心のどこかでは思ってるけど、そういうことじゃないんだよ、とまた心のどこかで思ってる。

 

 

書いている間に、いろいろ受け入れる体制にはなってきたけど、ジャニーズの情緒的不安はいいとしても、機能的不安は全く解消されていない。

人材育成していくためのスキームだとか、その思想の熟成をしていくことが今後の課題だと本当に思う。まさに今こそ、endless shockを、PLAYZONEを、再演するべきかなと感じている。ジャニーズの人材育成は、舞台の稽古が基本だと思うから。

 

V6がいなくなってしまうことも大変悲しいけど、正直それよりも、ジャニーズの体制の現実が悲しい。

若手を育てることを急務として欲しい、本当に。そしてわたしの自担は、より努力して欲しい。松本潤に育てられた私が認めたんだから、ジャニーズを代表するジャニーズになりなさいよ。

 

V6、今までずっとありがとう、愛してるよ。