拾って、集めて、抱きしめて

備忘録であり、小さな主張である。

「当たり前」だと思っていた

KAT-TUN田口淳之介くんが来年3月でKAT-TUN脱退、事務所も退所するという発表を11月24日に生放送された日本テレビのベストアーティスト2015の会場で自ら発表した。ツイッターのタイムラインはまさに、一時騒然、といった状況だった。KAT-TUN担はもちろん、KAT-TUN担ではない人たちも驚きを隠せていなかった。

完全に外野なので田口くんがどうとか残された3人の話などはできない。彼らの楽曲やパフォーマンスは私が応援しているグループとはまた一味違っていて、いつも興味深く見ていたけれど、正直赤西くんが抜けた時も聖が抜けた時もそれほど気にとめなかったといったら誤解を招くかもしれないが、頭のどこかで想定内のような気がしていたのかもしれない。しかし今回の田口くんの脱退はそんな私に少なからずダメージを与えた。一晩たっても二晩たってもこの衝撃と混乱から抜け出せず、情報の波にのまれ、明日は我が身と考えさせられ、こうやってSNSに吐き出さずにいられないのでつらつらとここに書き記すことにする。KAT-TUN担や他の方に不快な思いをさせてしまったら申し訳ない。けれど、今回のことで当たり前だと思ってたことを疑って、忘れていたことを思い出して、今一度再確認出来たことをこういった形で残しておきたいと思う。


田口くんは来年10周年を迎える、というこのタイミングで脱退を宣言した。デビューしてから9年以上が経っていて、さらに今まで過去に2人の脱退を見てきている。この状況に置かれたKAT-TUNのメンバーの「脱退」を誰が予測できただろうか。私たちはまるで「突然」彼が脱退を選択したかのように感じているけれど本当は彼の中でアイドル業をやっていることに別の感情がじわじわと侵食していて、この選択は全く突然なんかではないのだ、と思った。ジャニーズ事務所に所属して仕事をこなすタレント達は私たちに笑顔を振りまきながら、実に多くのものを背負い、選択して、拾って、切り捨てて、諦めている。これらのことが彼らにとって希望なのか、夢なのか、負担なのか、私たちには分かりかねることである。

「アイドル」も私達とおなじ「人間」である。そんな単純なことをすっかり忘れていた。ステージ上やカメラの前で歌って踊って人目を普通以上に気にしなければならない生活。そんな生活を送りながら彼らはアイドルとして活動している。アイドルがアイドルとしてい続けること。アイドルとして一生を生きること。これを言葉を選ばなければ「当たり前」だと思っていた。デビューしたあとのグループのタレントなら尚更、そこに疑問や不安を抱くことなど滅多にないことだ。彼らが私たちの前に現れた時、すでに「アイドル」としてそこに立っていて、要はアイドルではない時の彼らのことを知らない。それでも彼らは平等に人生を歩んでいる。1人の人間として様々な選択があり、アイドルとして生きることを選んでいるだけのことである。それを私たちは彼らのことをまるでアイドルとしてこの世に生まれてきた、アイドル以外の選択肢が無いような人間なのだと勘違いしているんだろう。これは田口くんにしか当てはまらない訳ではない。全員に言えることだ。いつだって、「アイドルでいる自分」と「アイドルではない自分」を比べることができる。秤にかけて、片方を捨てることができる。スポットライトを浴びる世界からいなくなることなんてきっと簡単なことなのだ。私達は、そんな雲の上のような世界で生きている人たちのことを応援しているのである。才能ある人間が私たちの前からいなくなるたびに思い知らされる。彼らがそこに立っているのは、立っていてくれるのは、当たり前のことではない。
「○人でここまでやってこれて嬉しい。」
「この○人じゃなかったらここまでこれなかった。」
「これからもこのメンバーで続けていきたい。」
「誰一人欠けることなくここまでこれて感謝している。」
よく耳にするセリフである。まるで決まり文句のように聞こえるこの発言達が、どれほどまで重くて深い意味を持っているのか、しっかり受け止めなければならないのだろう。

こういった「脱退」のニュースがあるたびに考えてしまう、「今までの笑顔は作り物だった?」といって類の、今までどういう感情でアイドルをやっていたのか、ということである。私たちが見ていた彼らはアイドルをやりたくてやっていたのか、そうではないのか、気にしてしまう。彼らを一方的に見ている私たちは自分の目で見れるもの全てを受け入れるしかないために、私たちからの疑問は宙に浮いてどこにも着地しない。返事もない。人生に無くてもいいようなもの、アイドルを応援するということを娯楽として楽しむときに、マイナスな感情は必要ではない。楽しい時間を過ごすこと、これにお金や時間や労力をかけているはずなのに、悲しい思いをしなくてはいけない状況ができると、私たちは実は「何もできない」。悲しさや怒りを受け止めるしかない。 私たちは彼らからたくさん影響を受けるのに、彼らに私たちの方から影響を及ぼすことは簡単なことではない。そこにあるのは、あってほしいのは、楽しいという感情と時間だけである。

もうこれ以上、言葉にできないマイナスな感情を味わいたくない。今出来ることは私たちの前に立っていてくれる彼らに声援と感謝の気持ちを、後悔のないように、精一杯投げかけるだけである。