週休2日

どうか今日も適当に生きて

誰よりも先を歩く

松本潤という人について。
誕生日のこのタイミングで考えてみようと思う。

とにもかくにも、まず、32歳のお誕生日おめでとうございます。
刺激的で最高な1年になることを遠くからお祈りしております。

少しファン歴のことを思い出してみようと思う。だいぶ自己満足度のレベルが高いですが流し読んどいてくれれば大満足です。

彼を初めて見たのは、2005年10月。
連続ドラマ「花より男子」がスタートした時です。
昼間にやっていたドラマの影響で井上真央ちゃんが好きだったことから、見るしかないと小学生ながら意気込んでいた。

道明寺司かっこいい…けどこれ誰!?かっこいい!!!!!
道明寺司役を演じているのが、嵐の松本潤だということを教えてくれたのは確か親です。(特に記憶にない)
松本潤?嵐?ん?ジャニーズ?あぁ、SMAPがジャニーズか。タキ翼もそうかぁ。(がきんちょを見てたのでほっさまで知っていたタキ翼)
最初の感覚はこういう感じだったと思う。
ジャニーズがそもそもなんなのかも多分あまり分かっていなかった。でもそこからのハマり方はすごかった。あんなに一週間が輝いていたことはない。当時学校があまり好きではなかった私は、とにかく花より男子のために毎日生きてたようなものだった。道明寺司が好きなのか、松本潤が好きなのか分からなくなるくらいには花男も大好きだった。今も外出先で花男サントラを聴きながら歩いて牧野つくしごっこをやったりやらなかったりする。ちなみに原作のマンガの完全版も全巻まとめて親から誕生日プレゼントでもらった(笑)

そして同時期に、我が家にパソコンが来たと記憶している。公式サイトに張り付いて、レギュラー番組やラジオの存在を知り、毎週まごまご嵐から宿題くんから本当に一生懸命すぎるほどだった。近所に住んでいたお姉さんが嵐ファンで、5×5をCDに落としてくれて、暇さえあれば聞く。聞く。聞きまくる。嵐の声を聞く。姿を見る。言葉を感じる。
何もかもが初めてだった。こんな世界があったのかと、こんなに自分がハマれるものがあったのかと、単純に幸せな感覚それだけが私を包んでいた。

彼に出会ってからあと1ヶ月と少しで10年たつ。
花男出は永遠の新規と呼ばれて10年。
10年間私なりに嵐を、松本潤を、見てきた。
22歳から32歳。年をとるということがどういうことなのか最近よく考える。私が初めて見た彼の年齢に自分がついに近づいている。

最初に見た潤くんには良い意味でも悪い意味でも「ガキ」。
勢いと気合いと周りの反応期待応援、それと少しのイキがりで、出来上がっていたような20代前半。
まこまご嵐で大野さんと海の家をやっているご夫婦のところにお手伝いに行き、仕事を振り分けられ、潤くんは焼きそばを作っていたのに、数分後には海に走り出している潤くん。
この回は花男リターンズなど仕事が積み重なっている時期だったような覚えがある。
頭ではなくてまさに感覚で生きているような、1人の未熟な人間の雰囲気が前に出ている感じが割と好きだった。

2006年初のアジアツアー、2007年初の単独ドーム公演、2008年初の5大ドームツアーと国立競技場公演、2009年には嵐10周年。
2007年冬花より男子リターンズ、2008年夏花より男子ファイナル
本人の話は何回もいろんなところで聞くが、何回聞いてもこのあたりが嵐にとっても松本潤にとっても、大きなポイントであったように思う。CDをリリースしても今の若手のグループのようにファンや世間の基盤がしっかりしていなかったため、CDは売れない。私自身が体感していたわけではないが、想像するにファンにとっても本人にとっても大変辛い時期だったのだろうと容易に想像出来る。花より男子リターンズの主題歌となった2007年リリースのシングル、Love so sweetが年間シングルランキングで4位。
その頃の潤くんは24.5歳。20代中盤頃。そこからは本当にめまぐるしい。いろいろなキッカケやタイミングではあるけれども、花より男子のスタートが全ての始まりの大きな一因であることは間違いない。
2009年、10周年はみんなでお祝いしようと言って、ドームと国立競技場での公演、ベストアルバムのリリース、5×10を作詞作曲、想像以上の周りの祝福、とても派手に1年が過ぎた。勢いで進んでいたような1年。この時彼は26歳。
そして2011年東日本大震災。その年の嵐はコンサートを開催することよりもそのコンサートにかかる電力を節約しようという目的でツアーの始まる少し前に東京ドームで初めてのワクワク学校を開校した。オリジナルアルバム「Beautiful World」。このアルバムやドームツアーのインタビュー、パンフレットを読むと、彼はとても大震災に影響を受けたのだろうと思われる。自分たちが何を発信できるのか、しなければならないのか、どういう意識でいなければならないのか、何が大事なのか。アルバム曲でMVを作ったのはこの時がとても久しぶりだった。その曲は「まだ見ぬ世界へ」。彼らは本当にまだ見ぬ世界へ行くつもりだったのだろうか。まだ見ぬ世界を切り開いていくつもりだったのだろうか。
まだ見ぬ世界へ、虹のカケラ〜no rain,no rainbow〜、negai、遠くまで。
どれもまるで日本への嵐からのエール、メッセージに思える。雨が降らなければ虹は出ない。落ち込んだ世間を励ますようなアルバム曲だったが、潤くん自身はとても物事をカタく考えていたと思う。コンサートや大勢の人が集まること、協力すること、に重い意味を置いているように感じた。
2012年オリジナルアルバム「Popcorn
名前の通り、コンセプトも明るく弾けたものとなっており、前年とは打って変わって嵐の嵐らしい明るさがが全面に出ているコンサートだった。この時の彼も同時に前年とは違って、明るく行こう!というようなテーマでやっていたと思う。この頃から彼の纏う雰囲気はまた一味違うものになった。

2008年頃から2011年までは進化で、2012年から今まではレベルアップしているようなイメージ。花より男子に始まり、彼は1人でとても大きなものを背負っていたように感じる。アルバムやコンサートのコンセプトを5人で話し合って決める。その作業の中でも彼は自分の意見を主張し、コンパスを持ち、向かう方向がバラバラにならないように指揮をとる。5人とその周りのスタッフ全員の意識を統一して、みんなで横に並んで進もうとする。道を切り拓く。5人は全員嵐のことをとても考えているけれど、誰よりもそれをカタチにしようとしたのが松本潤であると思う。考えて考えて考えて、その時その時の答えを見つけようとする。ストイックで頑固で真っ直ぐで素直で真摯。実は少し不器用だけど、それを感じさせない全力の努力。彼のやれることは全部やるその姿勢を今までずっと見てきた。始まりが花より男子だっただけに見た目や雰囲気で最初は掴まれたが、知れば知るほど彼の人柄、考え方、生き方に魅力を感じるようになった。年を重ねれば重ねるほど、彼の凄さが分かるようになった。私が応援するジャニタレはみんな性格、考え方が好きな人だ。でも彼のことは断トツで尊敬している。彼の考え方、生き方、全てに影響を受けてきた。これからも一生影響を受け続けると思う。
そして彼は変化し続ける。流れに身をまかせることはせず、自分の道を開拓する。時代の先端を進み、自らチームのコンパスを握ることが誰よりも似合う人、松本潤のことをこれからもずっと見続けていきたいと思う。32歳のお誕生日、おめでとうございます。