週休2日

どうか今日も適当に生きて

20220702

あいみょんのライブツアーに行ったんです。たぶん2019くらいからほぼ逃さず行ってる気がするんだけど、いつもいつもどうもありがとうございますな気持ちが発生するなどしてる。ジャニーズパーフェクトステージに飼い慣らされたオタクだから、セトリ・曲間の繋ぎ・照明・カメラワーク、全部どうしても気にしながら見てしまうクセがあるんだけど、今回は久しぶりにとっても良いステージだったので、満足感がすごい。なので今日はそっちの話は敢えてあまりしない。プロデューサーにいつもと違う人来たかと思ったくらい本当によかったの、円盤が出たら見てほしい。

あいみょんが本当におしゃべりだから、客とすごい話すのよ、カップルできた人〜?親子の人〜?あ、ご夫婦〜?って話しかけるから、いろんな人がライブを見に来ていて、本当にいろんな人に聞かれる曲を作る子なんだな〜と新鮮に感動するのよ。そんな中でわたしは基本1人であいみょんを聴きに行っていて、ていうかもはや1人が良くて申し込みの時点で誰も誘わないまである。

 

完全に他人と感覚や感情を共有・同意出来るわけ無いから、ごく稀に解釈の一致があると興奮するんだと思うんだけれど、正直自分の仕事のこととか、恋愛のこととかを、曲に重ね合わせすぎて、他の人が普通に聴いてるところでわたしだけしぬほど泣いてるとかあるから、こんなん人と見に行けない。

なんであいつ、こんな私の感情分かりすぎてる………?ってなった以降、逆に私に起こった現象が曲に揃っていくまである。意味不明。しかも、ここ数年の私の(若干)不毛な恋愛が、何故かここまで正当化されつつ続いてしまっているかについても、完全にあいみょんに責任があるのでいつか責任とって欲しいと思っている。ライブで聞くたびに、刺さる歌詞が変わったりなんかして、自分の成長具合に感動したりして、なんかもうメンヘラの域。前日の飲み会とか仕事とかのことと重ね合わせてどうにもメンヘラな自分が出てきてしまう。それなりの人数の前で歌っていても、間違いなく私に向かって歌ってる気すらする。全然泣くような歌じゃなくても、その間違いなく向けられた私へのパワーが私の涙腺をぶっ壊しにかかっている。同情されたり、同意されたり、励まされたり、泣かされたり、異常な量の感情が一気に体内に湧き出る感覚、ファンとかじゃなくてもう宗教に近い。

 

今回のこのテンションのあがり具合については、この完全に曲に寄り添われすぎた数年で、ライブの完成度が私の求めているレベルじゃなかったりしたのが前回ツアーで、「ライブより、深夜とかの変な時間に1人で聴いてる方がグッとくるな、、」とか思っていたら、去年のFC限定ツアーとかから徐々に息を取り戻し、今年のツアーで完全によくなったからでした。やっぱ本人の口から出てくる音波に意味があるなと思ったよ。人間同士だなあってぼんやり思った。

 

20220626

昨日は会社の仲間たちとテントサウナを持って、相模原の川に行った。日頃から自然を求めたりすることは少ないし、緑が無くても特に何も思わない人間だけど、意識的に自然に触れて、ケータイを触らずに空と木を見る時間を作ることは、完全にリラックスできる時間で、心穏やかになるなあと実感する。日々の仕事や生活を5日間過ごして、2日の休息を取る、ただそれだけの繰り返しを、平日5日間の中で10時間に一回くらい、「なんだろこの繰り返し」って思ってしまう分、土日の休みに自分と向き合ったり、頭を空っぽにする時間を作ることを最近求めてしまう。

 

その前日の金曜は先輩たちと飲みに行った。ただ誰かとしゃべりたいだけの時間が欲しかったのと、自分の話を吐き出したいだけなのと、ビールを飲みたいだけだったことと、ちょっとしゃべりたい人がいたっていう下っ端の感情を巻き込んで皆様ごめんなさいだけどありがとうの気持ち。

最近の金曜深夜の恵比寿は、タクシー待ちの列がすごいことになっていて、いつも半分ぽやぽやした気持ちで、このタクシー待ちの列に並んだり、ちょっと離れたところで必死に捕まえようとしたりしてるこの人間の数だけ人生があって、感情があって、恋愛があるのかもしれないと思うと、東京で社会人やってんな〜とかいう拗らせた感じの感情になる。

 

漏れなく一昨日もタクシーは捕まえられなくて、飲んでた人たちと缶チューハイを買ってある程度恵比寿から離れたところまで歩いた。風が強くて、温くて、夏の夜だなって思いながら、きのこ帝国の「クロノスタシス」を口ずさんだ。なんか東京の子って感じがしてくすぐったかったけど、嫌いじゃなかった。そんなザ・都会な夜の翌朝には車に乗って川でテントサウナをして、なかなか充実していた。

 

今日はやることが無かったのと、先輩から譲ってもらったなんでも映画見れる最強券の期限が迫っていたので、今朝(というかド昼)のテンションで見る映画を決めて無理やり外出した。昨日と一昨日の夜に感じた居心地の良い、エモーショナルな暑さとはまた違う暑さを感じて、「こんなん異常気象すぎる、そのうち日本は住めなくなるのかなあ」などと適当なことを考えながら、映画館に向かった。

見る映画を決める時、

・邦画(洋画で字幕追うほど脳ミソ使いたくない)

・感動系はNG(いろいろ考えたりして脳ミソ使い…略)

・できれば18時過ぎには終わってたい

みたいな理由でシン・ウルトラマンにしたんだけれど(庵野作品が意外と好きなのもある)、出てくる単語が全て難しすぎて、終わった後には音楽聴く元気も無いくらい耳が疲れていた。異常な暑さ、太陽光線の強さを感じながら友達の誕プレ買いそびれてたな…などと思ったのでルミネに吸い込まれたけれど、足は自動的に本屋に向かっていた。疲れた時に本屋に入ってしまうクセ、中学生から変わらない。

本屋独特の、紙とインクの匂いがすると、一気に心が解けて、あ〜何か買って一気に読もう、という気になって、目が合ったのは尾形真理子の「試着室で思い出したら本気の恋だと思う。」だった。本屋でよく見かけていたけど、恋愛小説読む気になってないことが多いのと、短編集があまり得意じゃないことから、手が伸びることは無かった。でも今日は明らかに目が合った感覚があったので、大人しく買ってあげることにした。ついでに、元気になりそうだったのでkemioの本も買った。これは帰ったらパラパラ読もう、なんか元気出そう、ってだけ。

 

ここまで数年間、薄ぼんやりした軽〜い恋愛感情があるようで無いような(多分あるんだけど)微妙な相手とタクシー乗るまで一緒に歩いて、クロノスタシスを歌った。サウナ行っても、映画終わっても、何してるんだろうか、とか思う感情がある自分に今更感動している。忘れたいわけでは無く、執着を手放して自分らしく生きたい、自分らしくってなんだっけ?いや、とりあえず今日の夕飯どうしよう…明日仕事か…みたいなしょうもない感情の変遷がくだらなくて嫌い。こんなことグルグル考えるだけ無駄だと思ってるけど、この思考回路は止められないので、とりあえす買った本を、スターバックスで読みはじめる。隣に仲の良さそうなカップルが向かい合わせに座ってイチャイチャし始めて、この2人は付き合いたてなのかな、もう何年も付き合っているのに男子の方がいちゃいちゃしてていい関係性なのかな、とか思いながら読んでいたら、カップルが離席、今度は女子2人に変わった。どちらも20代半ばに見えるけど、片方は既婚、片方は2年付き合った彼氏といい感じらしい。

 

いろんな人生があって、ちゃんとみんな歩んでるんだと思ったら、なんか自分が薄っぺらく思えた。自分らしく生きたいとか思う割に、相手に感情を伝えることもせず、その場の成り行きとかその時の意思決定を相手に委ねて、「誘われなかった」などと落ち込むことの繰り返し。かと言って自分から声をかけたり誘ったりするとうまくいかないことの連続。何のために生まれたんだ、みたいな謎に規模のでかい感情を持ってその答えを探そうとするけど、結局目の前の仕事に気を取られてまた1週間が過ぎる。

 

なんかもっといろいろなことを手放して身軽になりたい。考えすぎて超身重なので、また次の楽しみのために生きよう、恋愛感情だけが全てじゃない、と自分を言い聞かせて終了。明日もいい日になるといいな。

 

 

20220509

ご無沙汰…しています……

 

読み直すのが恥ずかしいくらい過去の記事だらけでびっくらポン。2年?くらい間が空きましたか…とんだトキの玉手箱すぎる。近頃の私と言えば、職場⇔飲み会⇔睡眠、の三角食べトライアングルセット。これ以外何してんだってくらい何もしていない。(本当はもう少しいろいろやってると信じたい。)

社会人もそこそこの年次になり、明らかにコロナ前とコロナ後で様々な物事が変わったものの、どこか変わっていない部分ばかり見つめてしまって落ち込むなど。このままサラリーマンとしてお給料をいただく生活でいいのか、彼氏もろくにできないまま、こんな生活のこんな年齢でいいのか、などと、ボンヤリとした悩みや思想だけが渦巻くくせに、解決する暇も無いくらいの仕事量と飲み会の量。いろんな人と出会ってるつもりで、一回会っただけの人が増えてく人生に果たして何の意味があるのか、、、と寝る前に感じる。明日も働かないといけないのでさっさと寝ますが…

 

趣味も特に変わらず、ジャニーズにどっぷり、ロック・ポップ・ラップ・その他の音楽にガッツリ。現場に行くことだけを生業とし、給料はほぼその経験値に消えていく。(中学生の頃の私、安心しな、と言わんばかりの生活。)

増えたことといえば、銭湯・サウナにズブズブにハマったこと。2020年のあの私のハマり方は異常だった気がする。本当に日本人に生まれてよかった。

 

近頃、シン・地元の居酒屋に通うことが増え、歳の離れたお友達が増えた。近所の話をたくさんして、ご近所情報を仕入れる。大好きで通ってるマイ・ホームサウナに、後継者の方がいらっしゃらないという噂を聞いて、私の人生が急に色めきたったのは、このGW2022のお話です。噂?でしかないので今度話しかけると決意。こういうことは勢いが大事だと、多分先人たちも死ぬほど言ってた。タイミング見計らうとかバカだ。

こういう、ラッキーとかタイミングを引き寄せる力だけはあると自負してる。今出会ってないことも、今出会ったことも、昔好きだったことも、今好かれてないことも、全部来るべきタイミングで全てが噛み合っていると信じられるくらい自分のタイミングを強く信じてる。なので、その銭湯に後継者がいないらしいという噂を今聞いたということは、今聞く必要があったと思う。だから、勢いは大事。

 

続けようと思った本も勉強も続いてないけど、また自分の気がついたらやろう、そのくらいのペースでいいよな、ハム太郎。(突如)

この世は舞台、みな役者

まーたこういうタイミングでしか書けない人間こと、わたしです。

先日もまた、大きなニュースがありました。

 

Johnny's net

 

一生見ることがないと完全に思い込んでいた「V6」と「解散」の単語が並んだ記事。6人が6人でいながら、駆け抜けた四半世紀のことが書かれた記事と発表文。

仕事の移動の合間を縫って読んだ大事なお知らせ、たくさんの愛が溢れてて、関係各位から愛されて仕方がなかった6人のことを思い胸がいっぱいになった。最終的にはメンバー自身が追及したエンターテインメントに納得して、次のステップに進む、と書いてあって、V6のエンターテイナーとしての自覚に感服しながらも、6人が6人でいつづける場所が無くなることへの喪失感の大きさを痛いほど感じていた。

 

わたしの場合、ショックを受けたのは大きく二つの要因があった。

一つはシンプルに、これから先「進化して新しくなったV6」を見れなくなることへの寂しさが大きい。コンサートはしっかりやる、舞台、映画、ドラマ、演技の仕事でもちゃんと評価を得る。バラエティだってちゃんとやってくれる、V6。やっぱりどこかでわたしは彼らの永遠を思ってしまっていた。

嵐の(暫定)ラスト2年間を見届けた私ではあるが、グループの終わり方はどうしたらいいのか?と聞かれたら分からない。未来永劫なんてあり得ないし、永遠に生きる人間なんていないし、オタクだっていつかは死んでいく。

けど、彼らといつも通りの明日を一緒に迎えられると思ってしまう。

彼氏と別れる時だって、なんとなく終わりそうだなと違和感を感じてから、ゆっくりとその違和感が大きなカタチになっていき、それが手に取るようにわかる頃にやっと、ああもうさようなら今までありがとう、という気持ちが完成しているくらいだというのに、こういう形での突然の宣告はやっぱりどうしても心が追いつかなかった。

二つ目は、ジャニーズの中でのわたしの理想形がなくなってしまったということへのショック。V6がずっとジャニーズとして、そこにいてくれてることが、他のタレントの"支え"であったと思ってるから。10代20代を駆け抜け、30代で結婚し、それでもまだジャニーズアイドルとして生きていたV6。舞台にも立ち続け、コンサートもやって演技もして、グループとして生きて、ファンと一緒に成長して、なんならまだ新規を獲得しながら、6人はそれぞれに光りながらたまに集まって。

こんなステキなグループがいることが、後輩たちにとっては一つの目標だったり、安心材料になっているに違いないと思う。

所属する事務所に、ロールモデルとなる先輩を見つけようとするのは当たり前の話だし、さまざまな生き方をしていく熟練タレントが上層部にいることで、若手が生き生きとしてくれると思っている。

若いタレントが生き方を迷って先輩に相談する時、相談相手はジャニーズであって欲しい。先輩がいなくなったら、ジャニーズではない先輩に相談してしまって、他の世界が輝いて見えてしまうような気がする。隣の庭はいつだって青いんだから。

 

そして、ショックを受けたのち、いろいろ考えた結果、一つの結論に至った。「デビュー25周年」「メンバーが40歳」というある意味での「基準」を、V6は残したということ。

ということは、つまりわたしが今していることは、自担たちが40歳、もしくはデビュー25周年となる日までは大人しく応援し続けるということで、つまりもうこれは始まってしまっているということになるのか。終わりに向かって始まっているということなのか。やっと劇場が暗くなってきて開演のブザーが鳴り、幕が上がって、次降りてくるのを待っているだけなのか。

ただ、いつか終わるんだと腹を括ってしまえば、目の前でめくるめく展開していく全てのことは全てエンターテインメント、幕が上がったら、降りるまで続く一つのショータイムであるという解釈もできる。オタクのわたしは、それをただ目に焼き付けていくだけでいい。場面場面で拍手を贈っていけばいい。

 

 

わたしは「ジャニーズ」が大好きだ。

ジャニーさんから始まったその歴史と、その文化。そしてそれを継承していく人たち。エンターテインメントへの情熱と信頼。「偶像崇拝」と書いて「アイドル」と読む世界で、歌って踊って笑っていてくれる彼らが大好きだ。

 

そんなジャニーズを、未来永劫残していきたい。続いていくには大事なことがたくさんある。

才能も大事。見た目だって大事。考え方も、生き方も、どんどん洗練していかないとならない。でも何より大事なのは、その思想に賛成して、ジャニーズでいてくれる"人材"。

「○○さんみたいになりたい!」という理由でいてくれる子も絶対たくさんいる。

「○○さんのために」「○○さんと一緒にいるために」

人由来の理由だけで、ジャニーズでいてくれる人だって絶対にたくさんいる。上がどんどん居なくなるということは、この理由で居てくれている子たちの、ジャニーズでいる理由が、なくなっていくということだと思ってる。

これの最初はジャニーさんの死だったと思うけど、亡くなったことだけでは立ち去る人も少ないと思う。仕方がない部分も大きいし。

でも、尊敬する先輩が、自分の意思でその所属から立ち去った時、それは己のキャリアを見直すタイミングとなってしまう。

例えば自分でも、たとえそれが好きな仕事でも、先輩やまわりが「ここから出てもっと新しいところへ」と思いながらいなくなったんだ、と気付いた時、自分の会社について絶対に考え直してしまうと思う。

 

こういう機会損失を嘆いている。

「ジャニーズになっても、ド派手に花火打ち上げて嵐みたいになったらなったで私生活が大変。」「ジャニーズになっても、売れるか分かんないしな」とか、思ってしまう子がいたら、彼は絶対にオーディションを受けてくれない。もしかしたら未来の推しかもしれないのに。

またさらに、この素晴らしい伝統を引き受けていくセンスのある人材かもしれないのに、相談できる先輩が事務所にいなくて、その子は何かを諦めてしまうかもしれない。もしかしたら、未来の帝劇を埋めるカンパニーを引き連れる座長になるかもしれないのに。

上がどんどんいなくなるというのは、そういうことだと思う。伝統と継承が途絶える瞬間をわたしは目撃してしまうかもしれないんだ。

「「ジャニーズ」」が、その一言で全員を黙らせる力を持っていたはずなのに、その時代が終わっていく気がする。

移り変わっていく時代に対応しなよ、自分。と思う。新しいアイドルとか、音楽、俳優、いろんなものが凄まじいスピードで変化していくこの世で、DX的な部分に乗り切れなかったジャニーズにも悪い部分はあると心のどこかでは思ってるけど、そういうことじゃないんだよ、とまた心のどこかで思ってる。

 

 

書いている間に、いろいろ受け入れる体制にはなってきたけど、ジャニーズの情緒的不安はいいとしても、機能的不安は全く解消されていない。

人材育成していくためのスキームだとか、その思想の熟成をしていくことが今後の課題だと本当に思う。まさに今こそ、endless shockを、PLAYZONEを、再演するべきかなと感じている。ジャニーズの人材育成は、舞台の稽古が基本だと思うから。

 

V6がいなくなってしまうことも大変悲しいけど、正直それよりも、ジャニーズの体制の現実が悲しい。

若手を育てることを急務として欲しい、本当に。そしてわたしの自担は、より努力して欲しい。松本潤に育てられた私が認めたんだから、ジャニーズを代表するジャニーズになりなさいよ。

 

V6、今までずっとありがとう、愛してるよ。

 

Ⅸ guys SnowMan

すごいよ、すごい。リアルに1年ぶりの更新となります。

しかも最終更新は嵐が活動休止を発表した翌日のカオス更新です。たぶんはてブロ側もこのアカウントは死んだと思っただろうな。すまんが生きてる。すまんけど、しぶとく今日も生きてます。

 

今日は2020年1月22日。本日、SnowManがメジャーデビューする。SnowManが、Jr.じゃなくなった。

誰がこんな今日を想像しただろうか?

渋谷にはメジャーデビューの広告が張り出され、街頭ビジョンではMVが流れ、everyでは密着映像が流れ、バラエティ番組にたくさんゲストとして出演し、エイベックスからSnowManのCDがリリースされる。

SixTONESSnowManは「良きライバル」としてセット売りされ、「ライバルって最高だ」のコピーと共にこの世に送り出される。職場の上司たちですら、ジャニーズから2グループが同時にデビューすると知ってる。こんな感動的なことが起こると、誰が予想できただろうか?

 

なんとなく、すの担だと自称するようになったのはここ最近な気がする。2013年ABC座ジャニーズ伝説で友人があてたXA列17番に着席した女は、一瞬で岩本照のステージに目を奪われた。あの日からたぶん、岩本照から目が離せなくなった。それでも、SnowManが好きというよりは、岩本照だけが好きだった。当時はSnowManに関しては、A.B.C-Zと仲良くしてるなーくらいの感じでしかなく、翔太とハッシーキャッキャッキャーくらいでしかなかった。はしなべ!とか言ってまるでえびすの担みたいな顔してたけど、実際のところ照しか見てなかったし、はしなべハイハイ、くらいにしか思ってなかった。佐久間はうるさいくてつまんないし(これは今もだけど今は面白い)、深澤は顔でけえし(すまんofすまん)、だて様はなんか動きが苦手だったし(今は好き)、あべはなんかいなかったし(見てなかっただけ説が浮上してきた)、翔太は滑舌悪いギャルでしかなかった(脱ギャルしたね)し、6人が6人であることに自信を持ってる感じがあんまりしなくて、推すにも推せなかった。本人たちの「SnowMan」への愛が冷めかけてるような時期だった気がしないでもない。

2014年だかそのくらいに照の事件起きて干されかけて、あーこれ詰んだなってなったし、でかいハコでの単独公演なんて無いし、とにかく誰かのバックにしかいないし、とはいえ自分がキスマイコンとか行かないから追えてる感じもしないし、ひたすら少クラ見てるしかないし、、、、ってすの担だと名乗るほどの自信が無かった。歌舞伎も見てなかったし。

BBJくらいからなんとなく「Jr.」をプッシュする動きがなんか見え始めて、ドラマにちょい役で出たり(スペオキとセットだけど)、照に関して言えばSHARKがあったりして、うわ〜〜かっこいい〜〜とかくらいには思ってたしドラマもちゃんと見てたけど、やっぱり自分はすの担じゃなかったと思う。

急に謎ラインが出来始めて、それこそバカレアだった当時のSixTONESと、SnowManと無所辺りの実力派?みたいなのがまとめて山田のバック(…だっけ?)についたりなんぞしたりして、もうとにかく混沌としてた、のを思い出した。(笑)

 

まあなんかとにかくSnowManSnowManとして愛せなかった、最初。個人個人が、自分が頑張って、グループに還元する!みたいな気持ちが、私には見えてこなかったし、この世界実力のみ!どんなユニットになろうと全力を尽くすのみ!個人でのし上がるのみ!みたいな時期があった気がするし、ちょうどその時期をガッツリ見てしまっていた気がする。

でも、なんかしらのタイミングで急に、SnowManSnowManを大事にし始めた風に感じた。たぶんなんか2016年くらい。たぶん。(笑)

すの担としてこの辺まで生きてないから本当によくわかってないけど(笑)、なんか急に6人が仲良くなった感じがした。大喧嘩でもしたんかな。SnowManの曲が出来たり、みんなでA.B.C-ZのPVに出演したり、なんか、急にパッと6人の雰囲気が変わった覚えがある。

なんかその辺から、SnowManいいなあってなった気がする。嵐が必然的に引き寄せられた奇跡の5人だとするなら、SnowManは腐れ縁でしょうがなく時間を過ごしてた幼馴染の6人。最初は仲良くしてたけど、入ったヒビが少しずつ大きくなるように、なんとなく一緒にいるけどなんとなく分かり合えなくなったと思ったら、ふとしたきっかけで雰囲気が急に改善された腐れ縁の幼馴染。この感じがいいな〜ってなったのがようやく2016年くらい。長かったな自分。そっからなんかSnowManの現場行きて〜ってなって頑張ったりした気がする。今思うとそんな行けてないから今になってはちゃめちゃに後悔してる。

 

岩本照担だった自分としてはいろんなカオスユニットもあったし、あーこのユニットで生きてくんだーって何度か思ったけど、やっぱりすのだった。SnowManの岩本照がやっぱり一番だだったかな。

SnowManいいじゃん〜って思ってから割とすの担みたいになって、先のこととかあんまり考えずにのんびりすの担やってたら、急に座長の仕事増えたり、ドラマ出たりして、年齢的にもキャリア的にもJr.のドン的になって、ちょっと焦ってたら、9人になった。これはビビったね。もはや懐かしい。

もう9人になってしまったことにアレコレ言うつもりはないけど、今でもたまに6すのが懐かしくなる。9人を悪く言うつもりとかは本当にないけど、あの混沌とした時期を過ごしたのは間違いなく6人で、その差は一生埋まらない。デビューしたし、その差についてとか昔の話を引っ張り出してきて話すつもりはないけど、あれがあったから今があるのは間違いないから、こっちも一生忘れないでおこうと思う。

 

 

9人体制になったのもつかの間、2019年8月8日、東京ドーム伝説の日8.8。この日から今日まで、光の速さで駆け抜けてきた。8.8のことを、昨日のことのように思い出せる。

そこからあっという間に今日になったけど、Jr.だった照、SnowMan、のことは一生忘れない。忘れられない。大人になったね、そんな歳変わらないけどさ。お互いに。

初めてオリ曲ができた時の感動とあのハチマキのダサさも、謎に一生懸命フリースタイルバスケやってたのも、少クラの収録で完璧なビジュアルで出てきてくれてドラマ叩いたことも、えび座に出てた時のことも、まだみんなヒョロッヒョロだった時のことも、全部全部がJr.のSnowMan担としてのいい思い出だよ。

 

これからはもっともっと違う景色を見に行こう。照が、少年たちでも歌舞伎でもないステージで黒のスパンコールギラギラについた燕尾服とかでバチバチにキメて踊るステージを最前で見るまでオタクはやめないよ。SnowManが単独で東京ドームに立つ日までオタクはやめないよ。しぶとく生きるよ。

 

今日はスタートだよ。これからできるだけ長い間、一緒に歩かせてほしい。よろしくね!

 

 

 

P.S.

とりあえず前髪作って、、、、、、、、、、、、、、、、

 

2019年1月27日

半年ぶりです。

ある意味、いや、いろんな意味で記念日となるであろう、2019年1月27日。絶対にこの気持ちは残しておかないといけないので、ここに残します。長くなる。と思う。

 

 

17時、ツイッターを開いた。活動休止。もうまた今日もガセネタか。はいはい。

と思った。でもなんか状況がどうやら違う。5人の、今日の日付のコメントスクショが流れてる。2021年以降、この地球から嵐が一回いなくなる。

 

2005年、嵐に出会った。道明寺が大好きなのか、松本潤が大好きなのか、原作漫画を読みふけり、ドラマを見まくり、真剣に考えたこともあった。でも違った。松本潤が大好きだった。

花男出は永遠の新規と呼ばれて、もう15年くらい経つ。自分の人生の半分以上は、間違いなく嵐と共にあった。自分の体は、嵐のいない世界で息をした記憶がない。

 

彼は本当に真面目な人で、優しくて、不器用で、堅実だ。20代前半から半ばあたり、演技の仕事やバラエティが続き、全然遊べなくて、ロケ中にロケを無視して海に駆け出したこともあるくらい、ヤンチャな時期もあったけど、それでも、やっぱりずっと真面目で、優しくて、不器用で、最高。

 

そんなわたしの大好きな松本潤が、いるグループが、嵐だ。嵐は、2000年代を、ただひたすらに駆け抜けた。気づかないうちに、5人の魅力に引き込まれた人たちを、順番に巻き込みながら、大きな渦を作った。気付いたら、めちゃくちゃ大きいサイズになってた。この大きさは、5人が大きくなったというよりも、5人の魅力が惹きつけた人たちの数だ。嵐はあまりにも大きくなりすぎていた。これは、2009年とかから、感じてた。10周年を経ても、その大きくなる加速スピードは、衰えることを知らなかった。2010年とかから、ツアーは当たらなくなりはじめた。

確かに、嵐は本当に大きな風を巻き起こしてた。たまに、5人はプライベートをどうしたいんだろうと思ったりもした。すばるが関ジャニを抜けたり、滝翼が思い思いの道を進んだり、こういういろんな出来事が起こる中で、嵐は自分の人生をどう考えてるのか、本当に気になった。わたしは、あくまで個人的な目線なんだが、アイドルとして生きる皆々様は、プライベートに不自由があるかもしれないが、それでも、ただの一般人が見ることはできない風景を見て、経験をしているんだと思えば、アイドルとして生きるスタート切ってしまった以上、その道を大きく外れることはしないでくれ、と思っている派だ。まあ誤解を恐れずに、端的に言ってしまえば、「アイドルだけどひとりの人間だから、」みたいな言葉が嫌いなタイプだ。そりゃあ間違いなく、ひとりの人間だけど、自分の才能と運と、努力を持って、日本国民1億人いてもそのほとんどが体験できない人生を歩んで、アイドルとしての人生を生業としているのだから、それ相応の覚悟を持って、ジャニーズでいてくれ、と願ってやまないタイプだということ。これは、嵐を見て育ったわたしの持論。嵐は永遠にわたしの前で、嵐でいてくれると、謎の自信があった。でもこれは、嵐を見てたというよりも、松本潤を見ていたんだと思った。大野担ではないから、分からないけど、大野さんを見てたら、趣味とか自分のもう一つの、嵐じゃない人生に興味を持ってフワフワどっかに行っちゃいそうなアイドルを、知れていたかもしれない。分かんないけど。

5人が嵐とプライベートをどうしていくかが気になる一方で、嵐は嵐をどう終えていくのかも気になってた。これはえび座のジャニ伝を、数年見続けたせいだと思う。嵐が終わる時って、すんごいおじいちゃんになる時なのかなとか適当に考えてたけど、心のどこかで、嵐は嵐を綺麗なまま終わらせるつもりがあるような気もしてた。すごく先の未来でだと思ってたけど。5人は、2009年にダッシュをキメたこのスピードのまま、ここまで10年また走って、この先10年、20年、走り続けることができるのか、現実的に考えて、体力的人間的に、無理な部分があるんじゃないかと思ったりする時もあった。

わたしの大好きな松本潤が、自分の大好きなジャニーズ事務所の、初代ジャニーズの話を知らないわけがない。綺麗なまま、ガタつく前に、5人が笑った顔だけがこの世に残っている間に、自分たちの時代を自分たちで終わらせる方法を知らないわけがない。大野さんから相談される前に、考えたこともあったと聞いて、全然驚かなかった。むしろ納得。だよね、輝いて笑って最高に幸せな5人が大好きなあなたが1番、少しでも崩れる嵐を見たくないはずだ。

2017年アルバムにSong for youをいれた時、この曲を20周年にとっておくのもいいんじゃないかという案に対して、できる時にやろうという結論に達したときも、20周年の時でいいじゃ〜んなんて思いつつも、妙に納得した。先は分からない。それは嵐だろうとなんだろうとそう。永遠なんて無いんだと、ここ数年でオタクたちが思ったのと同じように、5人も感じたはずだ。でもいろんなアーティストやアイドルが芸能界から姿を消していくなかで、やっぱり嵐に、永遠を信じたい気持ちもあった。嵐だけは、どうかずっとそこにいてくれ、と思ってた。

 

 

 

 

活動休止だから、また再会できる日がくると信じて待つことしか、私たちには出来ないらしい。でも今まで私はそんなことしたことない。信じて待つだけだなんて出来ない。えびになかなか露出が無くても、すのがギリギリの状態でいたときも、なんならこの間9人編成が発表されたときも、永瀬が東京に来たときも、キンプリとしてデビューしたときも、わたしには嵐がいた。嵐だけは変わらずにそこにいてくれたのに。嵐がいない世界の歩き方を知らない。

ただひたすらに今は悲観的な自分がいる。「休止」だからまた戻ってくる日がくる、あと2年間全力で笑って嵐を見送る、なんてそんなことが出来る自信が全くない。

でも会見で、わたしの想像以上に冷静な松本潤がそこにいて、ついてきてくださいと、自分の声でそう言った。絶対1番緊張して、熱くなってしまうような気がしてたけど、思った以上に冷静だった。そしてその、わたしが大好きな松本潤が、冷静に、ついてきてください、と言った。下を向いたままでもいい。前を向くことは難しい。けど、どれだけ泣いてても、下を向いていても、顔が崩れまくってても、彼らが私たちに伸ばしてくれる手を掴んで、後ろをついていければいいのかな、とも思った。

絶望的観測もあるけど、怖いからいまは言葉にしないでおく。2021年以降、そんな時がきたら、仲良い友達に片っ端から連絡して、ジャニーズには触れずにひたすらにわたしの体内にアルコールを入れてくれと頼む。

ただ、希望的観測もある。これは間違いない。彼らがそれぞれにスキルを磨いたり、プライベートもしっかりしていくなかで、また、笑って再会する日が来る可能性だって、まだ誰も否定は出来ない。私には、そんな日まで今日から頑張る余裕は正直無いけど、落ち着いたら、また、待つ体制の準備はしてみたいとは思う。

 

結局今日一日で、何も落ち着かないしこれからどうなっていくのかさっぱり分からないけど、きっと明日からも、働いて飲んで寝て働くし、いつも通りの日々を過ごすしかないんだろう。明日からどうなるのか、想像つかないけど、とりあえずまだ明日、嵐はいるので、一旦落ち着きたい。忘れたふりしてまたどうせはしちゃんかわいいとかながせの顔が最高!とか騒ぐと思うけど、こればっかりは許してほしい。嵐は自分たちのせいで、わたしを自粛モードにさせたいわけではないはずだ。いつも通り、嵐のいる生活が、一度期限付きになったというだけの話だ。たぶん。そもそも嵐のスタートも、バレー応援の期限付きだったかもしれない訳だし、まあ、ポジティブに捉えればそういうことだ。

 

 

 

読んでないはずだが一応、分類として書き残す、オタクではないリア友へ。

頼むから軽々しい気持ちでこの件について話しかけないでくれると助かる。カラオケは行きたいので付き合ってほしいですが、間違ってもラブソーとかは歌わないでください。イントロで泣き崩れます。

 

オタクのリア友、会ったことある仲の良いオタクの皆さま。

はちゃめちゃに気遣ってくれてありがとう。みんながあえてツイートしないでいてくれるのが分かります。勘違いだったら恥ずかしいが。たぶん数日で落ち着きますが、この人生であるかないかくらいの滅多にないレア度☆☆☆☆☆☆テン下げモードなのでしかと目に焼き付けておいてもらって、10年後くらいに笑って話してください。

 

他担のみなさま

たぶん自分のTLに嵐担一人もいないジャニオタはいないんじゃなかろうか、というくらいの規模感ですが、皆様は変わらずに自担へ愛を叫んでいてください。推しは推せる時に推せ。今まで多くのオタクたちが身をもって教えてきてくれていますが、またこれもそういうこととなります。みんなで、目の前にいる自担に愛を叫ぼうな。

 

嵐担のみなさま

今日はみんなで泣こう。会見の嵐を見て、笑いながら泣こう。もうそれ以外にやることがわたしには見つからないよ。

それでまた、明日から働いて、遊んで、嵐が嵐という仕事を笑ってやっていたように、頑張って生きよう。

 

嵐へ

今日だけは、言わせてくれ、日付超えてるから30日だけど29日の25時ということで許してくれ。

 

 

 

 

嵐、本当に寂しいです。わたしは本当に嫌だよ。頼むからせめて何年間なのか決めてほしい。無理だと分かってるが。マジで嫌です。本当に嫌です。ポジティブに考えられるオタクとしてわたしを育てておいて欲しかった。嵐に一桁歳で出会ったときから、それなりに一緒に走ってきたつもりです。嵐が見せたいもの、やりたいこと、一緒に走って追いかけて、嵐担は謎に最新技術とかに詳しかったりして、でもじゅん担だから歌舞伎も押さえなきゃいけないし。でもひたすらに先を走っていく嵐を追いかけることしか、してこなかったわたしは、これからどう走ればいいのか分からない。わたしは嵐に永遠を見てたのに。でも今、永遠を形にしたような存在だったのに、その嵐が、形を無視して概念になっていくような感じがする、それこそ、初代ジャニーズみたいに。

永遠なんてないんだと、わたしは嵐で学びたくなかった。という気持ちと、じゅんがついてきてくださいと言うから信じねばならないという気持ちが同居して、体が二つに割れそう。

多分嵐のこと、50年後くらいに、誰かが嵐伝説って舞台やるよ。タッキーとかが演出する。きっと。その時は這いつくばってでも帝劇に見にいくよ。

こんなこと考えてる反面、笑って会見する嵐を見たら、ポジティブにあと数年待てるかなと思う瞬間もある。これが嵐のすごいところなんだろうな。

嵐に育てられたオタクだから、嵐が言ったことがそのまま全て自分の感情になってしまう。だから、みんなが言ってたように、この2年間を真剣に頑張る。そのあとのことはその時考える。とりあえずみんなお疲れ様。

文字にすると言ってる事無茶苦茶だけど、このくらいわたしの頭の中もカオス。数年後に見たら面白いんだろうなという記事が出来ました。ありがとう。

 

 

P.S

嵐いないならオタク辞めようかな。。。。。とかいう謎の思考に走りそうになったけど、オタク以外の生き方は、本当に知らないので、それだけはやめませんヨ〜ン

 

2019年1月27日

 

想像以上の現実は、今ここにあった

大切なのは、お金でも時間でも愛情でもない。これまでの記憶だ。

そう言って、公演の最後に命がけで「フィクション」を歌ってくれたのは、sumikaの片岡健太さん。

想像以上の現実をありがとう。そう言って私たちに音楽を伝えてくれるsumika日本武道館というバンドマンの最高に特別な場所で、あんなに心と心の距離が近いライブを他に知らない。

「あなたの、目線と、表情が、この音楽をつくる。」私たちの、手拍子と声以外の要素が、sumikaの音楽をつくることに驚いた。片岡さんの中で、私たちの目線と表情が、音楽に変えられる。そんな幸せなことがあっていいのか、ドキドキしながらも、私の口角はあがる。私の目線と表情がsumikaの音楽になるならせめて最高の笑顔でいたい。

 

どの曲も、どの瞬間も最高だった。

単独の武道館ってこんなに幸せなんだって、みんなに言いふらしたい。想像以上の現実はここにあったんだ。

みんなのsumikaの瞬間と、私のsumikaの瞬間があって、1万と4人で音楽をつくる瞬間と、まるで私のためだけに歌ってくれてるみたいな瞬間がある。

大好きだ、大好きだって、大声をだして歌った時も、人の歌に自分重ねた時も、片岡さんはまるで私に歌ってくれてるみたいだった。

でもそれは、決して、ライブ中に「みんな」と言わない片岡さんだからこその力なんだと、単独ライブで何度も思わされる。

「僕」と「あなた」。「僕」と「みんな」じゃない。絶対に対等な立場でいてくれる。ステージもフロアも関係ない。一人称と二人称でいてくれる。

客席を向きながら、「こっちがステージなんじゃないかと思った」と言う片岡さん。私たちは、音楽を作り続けると決意した片岡さんが誰よりも輝くステージが見たいんだよ。ステージに立ってくれてありがとうと、私は思うのに、片岡さんは私たちが主役だと言ってくれる。

そんな相思相愛が、4人と1万人分の組み合わせで武道館に充満する。2018年7月1日、世界中のどこを探してもこんなにお互いがお互いのことを想い合う空間は無い。

公演前の武道館で4年ぶりに再会した友人同士のことを見つけた片岡さんは、sumikaがこれからも誰かの待ち合わせ場所みたいな存在でありたいと言った。sumikaの音楽を聴くと、一緒に騒いだ友達のことを思い出す。その時好きだった人のことを思い出す。人の歌に重ねた自分のことを思い出す。sumikaはもう、すでに私の居場所だった。心の住処だった。

この日一緒にsumikaを見つめた友達と、またsumikaのライブに来たいと思った。

 

 

4人が最高の顔して音楽を続けてくれる。音楽を続ける理由がまた見つかったと、私たちの顔を見ながら言ってくれる片岡さんのその人生と決意に、私たちはまた前を向かされる。

また生きて会おうと、最後に言ってステージを去る片岡さん。

もう少し頑張って、また次に最高の顔して会いたいな。今度はもっと、sumikaの音楽を、全身で浴びたい。もっと、sumikaと私の記憶を増やして、私の力にしたい。sumikaの力になりたい。私が、ここで音楽を聴くだけでsumikaが音楽を続ける理由になるなら、死ぬまで全身でsumikaを感じていたい。

 

また生きて会ってください。その、sumikaを背負った背中を、その決意の重さを、一瞬でも、少しくらい一緒に持ってあげたい。感謝を、愛情を、伝えさせてほしい。毎日を支えてくれるsumikaに、私の気持ちを伝えられるのはその一瞬しかないからさ。雨が降ろうと槍が降ろうと、また会いに行くよ。